平成12年度佐事研セミナー(記録)

                  主催 佐賀県公立小中学校事務研究会

                  平成 平成13年1月26日

                  於  佐賀県立女性センター・生涯学習センター

「アバンセ」大ホール

 

   講 演 「変革の時代を生き抜く」−−−経営参画への道−−−

            講師 大阪市教育委員会 前事務指導主事 岸  晃 行 氏

 

はじめに

 

 ご紹介いただきました岸と申します。どうぞよろしくお願いいたします。皆様方におかれましては、平素は子どもたちの学校教育の推進、充実にご尽力しておられますとともに、学校経営の中核としてご活躍しておられますことに心から敬意を表します。本日は、お招きをいただきまして、このような立派な会場で大変光栄に存じております。ご当地は、平成8年に、伊万里の立派な宿泊施設でお話しをさせていただきました。その時は6時間お話しをさせていただきました。朝10時から2時間と昼から1時から5時まで4時間で、話しをする方はいくらでも話す材料はあるのですが、聞かれておられる方は大変だったろうと思いまして、今日は、その時のお詫びを申し上げなければならないと思っております。本日は2時間と言うことですので、よろしくお付き合いの程をお願い申し上げます。ここの会場は非常に立派な会場でありまして、音響設備が進んでおります。私も色々な所へ講演に呼ばれるのですが、古いところは残響と言いますか、音が戻って来ることがあったりして、聞きにくい所もあります。ここは、先ほど丁寧に調整もされておりましたが、非常に立派なもので、ありがたいと思っております。声はこのぐらいでよろしいでしょうか。

 余り時間がありませんので、早速本題に入らせていただきます。お手元に佐事研セミナーの資料が配布されております。その1ページは、恥ずかしいのですが、講師紹介を載せていただいております。2ページ目の下に1と書いてある所の今日のテーマでございますが、1ページ、『変革の時代を生き抜く』と、サブタイトルとしまして『経営参画への道』と、これは決して、「こうしなさい、ああしなさい」と言うことではございません。われわれ大阪市としまして、苦悩と言いますか、苦渋と試行錯誤の連続を、ずっとこの40年間やって参りました内容についてお話しをさせていただくということでございます。

 今日の大体の「あらまし」ですが、最初に「はじめに」とイントロダクションを入れさせていただきまして、2番目に「ミニ講座・現役諸君へ考えるヒント」は、ご存じだと思いますが、雑誌「学校事務」誌に一昨年の7月号から昨年の5月号まで「連続して書いたものを話して欲しい」とのことですので、その内容がこの2の(1)から(6)まででございます。9ケ月の連載で、もっと書いて欲しいと言われたのですが、この辺で、勘弁してもらいました。大体このような内容です。次に2ページに「主な経緯」、これは決して自慢話をしに来たのではございません。われわれの、苦悩と試行錯誤の連続の内容を、どう変革の時代を生き抜いて行けばよいかを考え、実践してやって来た内容について、ご報告をさせていただき、少しでもご参考になればと思います。

 次の2ページの真ん中に4として「学校事務再編成」と、これは「研修」の所で、いわゆる事務センターばかり突出して言われて、それも「センター化」などと言われた時代が過ぎて、11年経っているのですが、その内容を少しでもご理解いただけたらと思います。これは伊万里でお話したものと、すこしダブるかも分かりません。3ページに、「事務指導主事」の職務を載せております。4ページに「学校事務再編成以後に設けられた研修」について載せております。あと皆様からの質問ですが、なかなか良い質問を出していただいておりまして、話がし易いと感謝しております。例えば、「研修はなかなかしてくれない、しかし官制研修は果たして良いのかどうか」というような悩みは、我々自身も持っていた悩みと同じ悩みですので、それについてもお話しをさせていただきます。それから以後は、研究会で資料を付けていただいております。非常に驚いておりますのは、この頃は、IT革命で地域の距離が非常に縮まっておりまして、こちらから色々勝山先生の講演の内容とか送っていただいて、大阪市よりも佐賀県の方がニュースが早いなとよく言うのですが、非常によい資料を集めていただいております。

 

スタンス

 

 そう言うことで、内容に入るまでに少し私の話のスタンスについて申し上げたいと思います。私は色々と各地で講演に招かれることが多いのですが、よく続いていますのは、決して「こうしたらよい」とか、「ああしたらいい」とかと言う差し出がましいことを申し上げることがないので、自分たちの苦労を、「こんなことで困ったのですよ」というようなことをご報告させていただいております。大阪市が特に進んだことを行っていると言う訳ではありません。色んなことをしなければいけないということは、問題が沢山あったからだと思います。本質的な悩みは、全国共通です。学校へ行きますと、圧倒的多数の教員の中の少数職種でございますし、「大阪市の学校に事務職員がいなくなった」とよく言われるのですが、「標準定数法通りの職員はおります」それに中学校には市費負担職員もいる訳です。それにしましても、教員の方々に、行政というものが、なかなか理解してもらえない。「教育」と「行政」の狭間に悩まされているというのが、本質的な悩み、全国共通の問題であります。

 

 それですので、同じ悩みを持つ仲間として、共に考えるよい機会になればと思います。先ほども、ご紹介がありましたように、校長先生、教頭先生など教員の方々ばかりにお話しをする機会が多いのですが、本日は同じ学校事務職員の仲間の皆様とお話しができ、ありがたいことだと思っております。私も、今まで行って来たことが、もう一度これで良かったのかと、第2ステージを考えております。学校事務再編成から、もう11年も経っておりますので、考える機会にさせていただきたいと思っております。本日お話しをさせていただく内容につきましては、退職もしておりますし、全部私個人の責任でございます。まずいことがありましたら、私が腹を切らなければならないと考えております。従って、教育委員会の責任は一切ございません。そのことも、申し上げておきます。

 どうしても、内容が内容ですので、難しい話、堅苦しい話になると思いますが、大した話は出来ませんので、どうかお気軽に、ゆっくりリラックスしてお聞き流しいただきたいと思います。

 内容につきましては、そのような「変革の時代を生き抜く」ということで、佐事研セミナー実施要領に書いてあります。「伝統的事務論からの脱皮と、機能を重視する近代的事務論への進化を踏まえ、企画・判断・調整機能を職務の中心とした『学校経営への参画』とこれを支える研修制度について学び、今後の学校事務と学校経営のあるべき姿について示唆を得る」という内容に限らせていただきたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。

 

 雑誌「学校事務」誌にこのような内容について連載をする基は、これなんです。(冊子を手であげて)これもこちらへ置いておきます。『新しい時代の学校事務と学校職員社会』という冊子を作ったのです。その基は、大阪府下の若手の活動家の連続セミナーがありまして、そこで、校務分掌とは何かという、素朴な疑問を皆で検討しようというセミナーが以前にありまして、そこに私も講師として呼ばれて話をした内容がここに入っています。これは、佐事研事務局の方に置いておきますが、全事研の大阪大会がありました時に、これを版元が売ったのです。参加人員が5,000人を越えたもので、よく売れました。それで、「学校事務」誌の山口編集長が、「もっと分かりやすく短い目に書いてもらえませんか」ということが発端です。ですから、今日のお話しは、もうすでに「学校事務」誌を読んでいただいていることと思いますが、その内容の基はこれなんです。これをコピーしますと、版元からクレームがつきますので、私の校正刷り、これは私の責任ですので、これも置いておきますので、関心のある方はお読み下さい。例えば、学校経営と学校運営の違いとか色んな内容についての、一番勉強したのは九州大学の高野圭一先生の著書ですが、そういうものが基本になっております。

 「学校事務」誌というのは、1万部ぐらいしか出ていないそうですが、3万ぐらい学校があるのに、もっと売れてもよいと思います。宣伝する訳ではないのですが、それにしましても、非常によく読んでおられるので、この内容について話をして欲しいというご希望が多く、お声をかけていただいております。今日は、出来るだけ、読んでおられる方に悪いので、ここに書いていない、原稿の背景を中心にお話しをさせていただきたく思っております。ダブルところは、お許しを願いたいと思います。そういう内容でございます。スタンスもそういうことでございます。

 

独立・自立

 

 「はじめに」でございますが、21世紀、別にそう大袈裟なことはありませんが、世紀を跨ぐ時に、偶然生きている我々は、普通でしたら「来年はどんな年になるかなあ」と言うようなことで新年を迎えるのですが、世紀を跨ぐとなると、もう少しパターンが長くなりまして「今度の新しい世紀はどういう風になるか」を考える良いチャンスになったと思います。皆様方も色々なイベントに参加されたと思いますが、私もお声を沢山かけて戴きました。お酒がいけませんので、騒ぐのは好きですが、全部お断りしました。皆さんは、どのようにお過ごしだったろうかと思います。私は福沢諭吉先生の「学問のすすめ」を、12月28日頃からもう一度読み直しまして、31日、大みそかも私はこれを読みながら新世紀を迎えました。別に、良い格好をして言っている訳ではないのですが、丁度福沢先生が亡くなられてから100年になります。福沢先生が亡くなる前の年は20世紀になる年で塾生を集められて、「学問のすすめ」を読んで新しい世紀を迎えられたという故事がありますので、先生に少しでも近づきたいと思いまして。家の子どもたちも皆独立していますし、4人の孫が正月にお年玉を貰いに来るだけで、老夫婦だけですので。別に何もすることもないので、車もやめましたし、車を磨くこともありませんので、暇ですので、そんな本を読んで過ごしました。後で福沢先生に触れたいと思います。やはり、明治のはじめに、列強の外国の文明の嵐の中で、福沢先生は独立というか自立ということを非常に強く言われておられました。あの時代、本当にびっくりするぐらい欧米列強の力がすごかった中で、独立の重要性を説かれておられます。スピリットいう気概ですか、それはやっぱり今の私たちに一番欠けているものではないかなということをつくづく、偉そうなことを言いますが、感じた訳です。

 今、世の中は変革の時代といいますか、何でも限界が見えて来ている時代だと思います。新聞やテレビだけでは分からない水面下でドンドン世の中が変わっている中で、この本は、どうしたらよいかということを考えるヒントになって来ると思います。私自身の勉強の為に読みましたが、佐賀県の方はそんなことはありませんが、他の所で福沢先生の著書のお話しを詳しくした時に、「福沢諭吉は中津藩の人で私たちの藩ではない」「私たちの県と違う人である」と言われたのにはびっくりしました。このグローバルの時代に、中津藩が出て来たり、自分の県の人でないというのは、非常に狭い考えで残念な気がしました。それから「福沢先生は慶応ではないのですか」などと言われる方がおられるのにもびっくりしました。インターネットでワシントンのホワイトハウスがすぐ出て来る時代に、自分の県と違う、それから大学が違うなどというようなことを言っているようでは、絶対に変革の時代を生き抜くことはできないと、もっと目を開かなくてはいけないと感じました。福沢先生は古い身分・門地閥を無くそうと努力されたのですが、私は後で申しますように、職閥というか教育という権威と対抗し、人と職との分離、少なくとも「学校では全職員が対等平等で子どもたちの学校教育を保障しているのだ」ということを主張して参りました。

 

進んでいる・遅れている

 

 よく、お世辞半分で「大阪市は進んでおられますね」とか言われますが、そんなことは絶対にありません。本質的な悩みは同じことです。こちらから職務内容の明確化とか、いつも佐事研研究冊子を送って戴き拝見させてもらっております。内容が非常によくできておりまして、刻々と研究しおられます。決して進んでいるとか遅れているとかでなしに、全部事情が違う訳です。立っている事情が違う。ですから、隣の家がハワイへ行って大変よかったから、わが家も行かなければならないことはないのです。我が家は我が家の事情があるから、わが家は温泉がよければそれでよい訳です。そんなところに行かないで、家にいるのが一番楽しければそれでよい訳です。全部事情とか条件が違うということです。大阪市は「財務取扱要綱」や「標準運営費」を改定したり、「事務指導主事」を作ったり色々しましたが、問題があったからそのようなものを作らなければいけなかった。何もなかったら、それが一番よい訳です。そういうことで、決して自分のところの自慢話をしに来ている訳ではありません。

 

一国数制度

 

 各地で事情の違いがあります。私は全事研の分科会の助言者でも話をするのですが「一つの国で一つの制度でなくてもよいのではないか」と言うのです、ワンカントリーにセベラル・システムズがあってもよいのではないでしょうか。政令指定都市と中核都市と普通の市町村とでは随分事情や条件が違う、それを一つの制度で、何学級以上は何名とか一律であることは無理があります。これはもう地方が国を動かす時代でございますから、大阪市が学校事務再編成を行いましたのも、財務取扱要綱を作りましたのも、国の法律ではどうにもならないので、自分の方で作ったのです。例えば、財務取扱要綱では、学校教育法の「事務職員は事務に従事する」という規定を何とか乗り越えたいということで、実効のある要綱で「つかさどる」という言葉を絶対に入れようと作った訳です。「自分たちの変えられるところで変える」という形でもって行きました。

 ですから、今の制度が固定的なものと思わないで、「変えられる範囲で自分たちで変えて行く」という気概が必要ではないかと思います。今も、控室で言っていたのですが、日本の国を大きく変えるのは九州の人々の力が今までも、一番歴史上でも、強かった訳でございますので、何とか力を出していただけたらと思っております。

 もう一つ、大きいことがよいことと短絡的な考えがありますが、「大阪市240万の人口があってよいですね」とか言われますが、決してそんなことはありません。大きいからやりにくいところもある訳です。例えば、市町村で20校ぐらいの学校を持っている所では、1校に10万円ずつ予算を付けることなど、知れている訳ですが、大阪市のように530校では仮に10万円ずつ予算措置をしようと思いましても大変な額になってしまうのです。やりにくいところもある訳です。私が住んでいる西宮市も現在は人口46万人ですが、私の子どもの頃は、若い頃は20万人ぐらいで、この頃が一番住みやすかったと思います。住民との触れ合いがありました。地方自治とは、本来そういうもので、小さい方が密接度が高いということです。決して大きい所が立派なことをしているものではないと思います。

 

第三の変革期(残すものは残す)

 

 最近は、変革の時代と耳にタコができるぐらい言われ、現在が第三の変革の時代と言われております。近代教育の一番目の変革は、明治維新の明治5年の学制発布です。これは、ご存じのように、「村に無学の徒なく」とか「学問は身をたてるの財本」とか言って、受益者負担から近代学校教育が始まった訳です。これが教育としての大きな変革のひとつであり、社会もすべて変わって、身分・門地が優先であった世の中のシステムが個人の時代になりました。先ほど申し上げました福沢諭吉先生が身分やら門地に寄り縋っている時代ではない、各個人が独立した、自立した形で進まなければいけないという気持ちもそう言うことから出て来たと思います。

 二番目は、ご存じのように昭和20年の敗戦です。よく終戦といわれますが、完全に敗戦です。私は小学校の4年生でして、教科書を墨で塗らされた時代で、ここにおられる若い方々には昔話みたいですが、その時から、私の心の中に「権威に対して絶対に信用しない」という気持ちがいや程入っている訳です。友人に新聞記者が沢山いるのですが、新聞なんか絶対に信用しない。権威に対して、権威に寄りかかることはしない気持ちがそういったことから、価値観と言いますか。と言いますのは、昨日までと同じ先生が、がらっと反対のことを言うのですから、それは子ども心にも大きなショックでした。それですので、教育に権威を持たせて、その教育を支えるからと言って、その権威に寄りかかって自らの存在を示すことには、ついていけないのです。

 そこで、憲法が変わり、教育基本法が出来、学校教育法が出来まして、6・3制が出来て、今のこの変革の時代と言いますのは、今始まったのではありません。私たち大阪市は、昭和30年頃から変革が始まったと捉えて頑張って参りました。今、新聞紙上に書かれていない水面下で変革がずんずん進んで、新聞記事になるようではもう遅いのです。私も友達と集まったり、特に民間企業の方々と会ったり、他方面の方々と会ったりしますのは、そういうニュースが欲しいからです。この2ページに「主な経緯」に入るのですが、これは決して昔話をしている訳ではなしに、歴史上はこの40年、50年は一つの点であります。40年前というのは大昔ではありません。あと100年、200年過ぎましたら一つの点です。この辺が、この時代に生きていた人々が何をしたかということが問われる訳であります。

 その頃、私たちは、これから変わって来るぞという風に考えましたが、今、逆に、新聞紙上、マスメディアが変革と盛んに言いますが、逆にそんな言葉に乗らないで、残すべきものは残さなければならない。しっかりと自分たちの立っている足元を客観的に分析して、どんなところに問題があるのかを見る。次に、はっきりとした目的・目標を立てて、それに向けて洞察力を持って、実践して行く、理屈ばかりを言っていては進歩はないと思います。

 先月も、大阪市で、我々と同じような考えを持っている人が集まりましたが、大阪はご存じのように2008年にオリンピックを招く、なかなか苦戦をしていますが、その時に学校はあるのかなあというような話から、色々と話を進めたことがありましたが、そのくらいのペースです。残すべきところは残さなければならないと、皆が変わる変わるといって、調子に乗ってというか、乗らされてやっていたのでは困ると思っております。

 

危機感を持つ

 

 また後で、学校管理規則とか定数改善とか共同実施とか具体的をお話しするつもりですが、要は今日申し上げたいのは、定数改善になっても、事務職員が増えても、学級編制が変わっても、共同実施がされても、『私たちの基本的な考え方を変えないかぎり、本質的な改善にならない』、またしんどいだけです。昭和30年代に、市役所の中で総合計画局と言う局、こちらにもあると思いますが、将来の市政を推測する局があったのですが、20年先、30年先、下水道はどうなっているか、人口はどうなっているか、税金はどのくらい入ってくるか予測するところです。大阪市は市長部局の中で人事異動が多いのですが、教育委員会にいた方が課長でそこにおられましたので、よく勉強に行きました。

 情報公開の動きもよく勉強しました。現在、本当に第三の変革期の真っ最中ですが、その顕著な動きは、情報公開が聖域であった学校の文書も例外ではなくなったと言うことです。学校の文書公開ということは、学校の中のシステムを出すことで、あらゆる批判にどのように自主性、自立性を保つかが課題であります。学校には、個人情報が多数あります。情報公開の中で、個人情報をどのように保護するかが課題です。そして、情報公開によって、学校が、住民の学校に変わるということです。従来の国・県・市、それに働く者主体の学校から、経営という他者評価が入ります。

 その時に、昭和30年代、40年代にもうあと10年、20年経ったら、子どもたちの数が半分になるが、いいのかという話があったのです。実際に、昭和35、6年に大阪市の児童・生徒数は約48万人いたのが、平成に入りますと、22万人になってしまった。これは校長先生にもよくお話をするのですが、商売していてお客の数が半分になっても、のんびりしている時代と違いますよと。お客さんの数は完全に減った、将来も増える予想はないのです。これは大きな危機感を持っておかないと商売もできませんと。

 それからもう一つは、学級崩壊とかいじめとか色々なことで、公立学校離れです。大阪市なんかも私立学校の入学者数を入学した数だけを見てはいけない、私立への受験者数を調べないといけない。行きたくても入学試験に落ちたら行けない子どももいる訳です。しかし、その子どもたちは公立学校を見限っている訳です。出来たら私立の学校に行きたいという、その現実をしっかりと見て、もっと子どもたちを大事にする、魅力ある公立学校を作らないと今まで通りのことではいけないと思います。

 それから、保護者の期待が学校には学力を期待しないで、しつけだけを、親の言うことをききませんから言うことを聞くようにして下さいと。学力は塾でやらせますというような、学校教育と家庭教育との逆転が起きております。この現実をどう思われるのかというような話ですね。学力というのは、非常に大切で基礎基本は大切なものなので、もっと学校でしっかり教えなければならないものであります。

 そういう変革の時代に、定数改善や色々と文部省が努力をしましても、われわれの基本的な考え方が「職員の世話する係だ」と、「職員に良い人だと思われ、あの人がいるから便利だ、助かると思われたい」という気持ちでは何も改善されない。教育とは完全な善であって、それを支えたり、補助をすることに意義を求めていては、いくら改善策を講じても本質的な改善にはならない。私たちこそ今、自立しなければならない。そのためには、納税者に意識を向けなければならない。納税者とは子どもたちを学校に送っている人だけではないのです。学校が邪魔だと思っている人もいます。もっと税金を違うところに使って欲しいと思っている人もいるのです。そういう謙虚な気持ちで、われわれの基本的な考え方を変えないと、いくら制度を変えても本質的な改善にならない。『私たちの意識変革』これが、本日のテーマなのです。これは、偉そうに皆様方に言っているのではなく、自分たち大阪市として、この経緯の中で、それを自らに言い聞かせて来た訳です。具体的には、給与支給・福利厚生中心の職務から財務中心、企画調整作用を発揮し、個人プレイの世話型・補助型からの脱皮を行ったのです。それですので、冒頭申し上げましたように、苦悩と試行錯誤の連続であった訳です。私のよく言います、伊万里でもお話しをしましたが、「有視界飛行の時代は過ぎた。目の前の職員によい人と思われたいということではなしに、目に見えていない所が見えるレーダー飛行しなければいけない」すなわち、我々行政職員は子どもたち、地域住民、納税者、その人達の学校に対する期待はどうなのかを中心に判断するということです。

 私が、特にそれを感じましたのは、2回も新設校の、学校の開設を経験しました。新しい学校を作った訳です。2校とも地域は学校開設に反対とか問題がありました。1校は、市営住宅が建つ予定の場所に学校が開設になった。それは、地域の商店、市場や風呂屋さんが反対するのは当然です。もう1校は、校区の変更で揉めていました。そこで、私は学校というものは、すべて善ではなく、迷惑を掛けている面もあるのだという、謙虚な気持ちが必要であることを学びました。

 

旧教育委員会法・地教行法・地方財政法改正

 

 この経緯を簡単に説明しますと、昭和31年に、45年ぐらい前ですが、地教行法が制定されました。これで、ご存じのように前の教育委員会法がなくなった訳です。大きなポイントは、教育委員会に予算編成権がなくなったことです。それまでは、教育委員会に予算編成権があったということは、四権分立みたいなものだったのです。司法、立法、行政と教育として、行政委員会として要るものがあれば、税収が少なくても、要るものは予算を自分のところで編成できた。昭和31年からは、他の市長部局と同様に財政局に予算を要求し、他の部局とおなじレベルで査定を受けるようになりました。これは、佐賀県の皆様は上級職採用の方ばかりで大変失礼なことを申し上げますが、物の順序ですのでご勘弁いただきたいと思います。昭和35年に地方財政法が改正されました。小・中学校は教職員の給与と建物の維持費用を住民に転嫁してはならないことになりました。これで当時の大阪市は非常に困ったのです。今日は若い方々が多いので、ご存じないとも思いますが、昭和35年頃はPTAのお金で学校が助けてもらっていたのです。施設協力費とか学校に子どもが行っていない家でも賛助会員としてお金を集めていたのです。これは、学校に配当される公費が少なかったからです。それではいけない。地財法で学校に監査が入ったら困る訳です。

 それで、大阪市は昭和38年に市議会で私費負担抑制の決議を超党派で行い、義務教育は本来無償と言いますか、公費で行い、住民に転嫁してはいけないと、昭和43年に私費負担解消4ケ年計画で当時学校に配当していた予算額は10億円でした。現在は、学校へ配当している予算は150億円を超えていますが、そして4年間で公費を11億円追加し公費による学校運営が期待されました。この頃、公金外会計基準が制定されまして、PTA等の決算書の様式等を統一しまして、私費が学校運営に使われないような努力がなされまして、私費負担を解消しなければいけないようになって来ました。

 私は、学校に入る前に厚生省におりましたから、そこは事務組織がしっかりしていましたが、学校に行きましてびっくりしました。何か個人商店で働いているみたいなことで、いつどこで誰が何を決めているのか分からない。昨年の通りとか、しきたりみたいなもの、慣習で動いていた。私が分からないからと内容を聞くと、「文句があるのか、黙っていたらよいのだ」と言われました。おかしな所だなあと思いました。

 地財法の改正ですが、この頃学校にはそれが及んでいなかった。例えば、その当時、運動会の昼の職員の弁当がPTAから出ていた。給与というのは、何も給料袋に入っているものだけでなく、生活の利益になるものは給与なのです。昼食を食べに行く時間がないということで、PTAの負担になっていた。批判するだけでしたら、単に拗ねているだけで、対案を出さなければと、これを親睦会で、自分たちで負担するようにしたなど、これは一つの例ですが、色々なことをしました。学校では、当然嫌がられました。そんな嫌なことばかり言っていると、よいお嫁さんが見つからないよなどとも言われましたが、私は、職住分離でそんな気持ちはないとがんばりました。

 それから、先生というのは人がよいというか、事務職員に対してある種の偏見を持っていると言うか、私は教員採用試験に落ちたから事務職員をしていると決めつけられていました。応援するから、早く教員になるように薦められていました。ご自分の仕事を他の人に薦めることができるのは、幸せな方々だと思いました。これには、後日談がありまして、それから20年ぐらい経って、それらの先生から、いつまでも専門の研究が出来てうらやましがられました。人生にはそれぞれいろいろな生き方があることのよい勉強になったと言われました。

 それから、厚生省では、今は知りませんが、自分たちのお茶葉代、親睦会費などは給料日にその係の人が現金で集めていたのですが、学校は給与から控除する費目が多いのには驚きました。行政の感覚を持たない人が、ただ便利であるからと言って決めていたのでした。現金で、全額、本人へという給与支給の三原則から程遠い状態でした。これは、給与の電算化で改善されました。大変恥ずかしい話ですが、大阪市も40年前は、そのような世の中だったのです。このようなことがあって、いわゆる「公費による学校運営」という大きな流れになった訳です。

 それからもう一つは、昭和46年から実施となった給与の電算化、こちらもなっていると思いますが、人減らしによる合理化反対と揺れましたが、当時私たちは早晩、給与の個人預金口座に直接振り込まれる時代になると予想しました。我々の当時の主な仕事は給与支給と福利厚生という二つの柱があった、いわゆる世話型のものだったのです。これでは、われわれの仕事はなくなるぞと大きな危機感を、この頃、昭和40年台の初めに持ったのです。職の存亡に係わる問題でした。

 

雑誌「大阪人」問題

 

 もう一つ大きなものは、昭和47年の雑誌「大阪人」問題でした。現在では、大阪市の事務職員自身知らない人が多くなりましたので、当時の経験者として、若い人たちに話をします。これは、都市協会という外郭団体が発行していた雑誌「大阪人」に、青年職員研修アレルギーと言う文章が出まして、この頃の若い人は三無主義である。無気力・無関心・無責任だと。その典型的な者は学校職員であると。彼らは閉鎖的で、雑務をしていて、孤立した職種である。こんな職種を置いている役所もひどいものであると言った侮辱した内容でした。このように「生まれたままの状態で、十分な研修もしないで、放置した責任はどこにあるのか」と、事務職員が物凄く多数集まりまして、組合・事務研究会が徹夜で抗議をいたしました。現在、平成2年の学校事務再編成を他から見ますと、「役所に入りたいからだ」とか、「上昇志向の現れ」とか言われるのですが、全部この雑誌「大阪人」問題の裏返しなのです。『閉鎖的でない、雑務はしていない、本務の中心は財務である、孤立していない、団結して自分たちの集団で仕事をしているではないか。』この辺を理解してもらわないと、今回の事務再編成を正しく理解できないのです。

 旧教育委員会法から地教行法へ、地財法改正、給与の電算化、雑誌「大阪人」問題で私たちは危機感というか、大きな変革の時代が到来したことを痛感いたしまして、この主な経緯の昭和47年から昭和57年まで、空白の時代になっていますが、この間に物凄く勉強いたしました。まず、事務論から始めようとしまして、丁度、日教組の任務論が出たりしましたので、これが本日のテーマであるどうすれば「変革の時代を生き抜くか」と言うことに邁進しました。それで職員の世話型、補助職員からの脱皮、具体的には職務の中心を給与支給・福利厚生から学校財務のリーダーへとスライドさせる、職員室にいるとどうしても補助的なスタンスになるので、職能自立して単数配置でも事務室の設置の運動を始めたりしました。

 

事務論

 

 事務論ですが、雑誌「学校事務」誌に掲載したものを、もう読まれたと思いますが、後で事務局に置いておきますので、ご参考になればと思います。私は事務論から入ったのですが、これは何も学校の事務職員だけでなしに、民間の企業の事務職員もあの頃は同じでした。その頃は、大学進学率が10%に満たない、高校進学率も確か30%台でした。大卒というのは、少なかったのですが、民間企業に行っている大学の同期の友人も、総務畑とか庶務とかの経営の方で勤務して、われわれと同じように給料とか庶務的な仕事をしていました。そうすると営業畑の人が営業が稼ぐから会社があるのだと、偉そうにされて悔しいということで、同じ悩みの仲間が集まりまして、朝食会等で勉強を始めました。事務論ではいわゆる「伝統的事務論」、つまり読んだり、書いたり、計算したりする作業だけ、現象だけを見る、補助作用とする事務論からの脱皮をしなければいけないということが、その民間企業に働いている人々からも出て来たのです。その時にアメリカのヒックスという大学の先生のオフイス・マネージメントという著書を丸善の洋書で見つけました。これもお読みのこととは思いますが、これは1930年にもうアメリカでは出している訳です。その時に事務論というこういう図を出しておられるのです。

 少し、おこがましいのですが、図を書かせて     Office management

いただきます。まず、長方形の下部の横線に作       ヒックス

業、オペレーション(実線)が長くあり、判断
点線)が短くあります。それが、長方形の下部の
(点3分の1を占めまして、ローア・マネージ
メントといわれる部分です。次に、中部付近に
、オペレーション(実線)が半分、マネージメ
ント(点線)が半分あり、これをミドル・マネ
ージメントと呼びます。次に、最上部3分の1

   MA       (判断)

        
 

 OP       (作業)

法令

Top management 

Middle management

Lower management

 

にオペレーション(実線)が短く、マネージメ

ント(点線)が長い、トップ・マネージメントがあります。通常、このローア・マネージメントの部分から始まり、企業や役所などはそうですが、その人の職能成長に従って、上部へ、ミドル・マネージメントへ進み、次にトップ・マネージメントへと職能成長して行きます。将来はこのローア・マネージメントの部分は機械が担当することになるだろうと予測しておりました。この全体を経営としました。

 しかし、学校では事務職員の仕事はこの作業、作業を軽視する訳ではないのですが、このオペレーションが大部分の、いわゆる「伝統的事務論」の読み書き計算するという、作業というか現象だけを見た「事務のみを行う職員」と思われていたのです。単数とか少数配置でしたので、職能成長しましても、このローア・マネージメントの部分のみを仕事とされており、同じ時期に役所に採用された人が、係長、課長等に進んでいるのに、学校では、呼称は少し変わったとしても、同じ程度の仕事をしているということでした。私は厚生省におりましたので、係長・課長・部長など全部を見て来ました。つまり、通常は、係・課・部・局等と所属する、管理する範囲が、職能成長するに従って広くなるのに、学校では、いつまでも少数職種の中で働くという、つまり閉鎖的な職種でありました。それも書記的な、職員の世話をする、つまり補助的な作業を担当する仕事に限定されており、学校という組織の意思決定過程に参画する、経営参画など思いもよらないことでした。

 これらの、基盤は法令です。よく「事務レベル」の会議などと、余り重要でないように報道されたりしますが、これは法令を基盤とした、法令の範囲での会議でありまして、世の中の殆どはこの範囲で、事務が重要でないということではありません。行政は法令を基盤として行っております。立法つまり政治の働きは重要ですが、三権分立の建前からは、行政は法令を基盤として粛々として行っております。

 「伝統的事務論」が事務の現象面だけを見ているという過ちを犯しているのは、例えば、先生の仕事を教室で子どもたちに話をすることに、現象面だけを捉えて言いますと、先生は「私たちは話をすることによって教育をしているのです」と、その機能を言います。私たちも、書いたり、計算したり色々していますが、あれは手段でして『目的は組織の意思決定過程に参画して、経営参画をしているのだ』と、その機能を言います。誤解のないように言いますと、経営参画をすると言っても、決して校長先生の学校経営を侵害するものではありません、学校の最高経営責任者としての校長先生の決裁、つまり学校の意思決定を行政面、財務面から一層揺るぎないものにする作用を行うということです。

 1975年に日教組の機関紙「教育評論」が『学校と学校事務労働』という特集号を出して、この時初めて学校事務というものが表に出て来た訳です。そこでもう亡くなられました東大の持田先生が「教育のための学校事務」から「教育を変革する学校事務」へと変わらなくてはいけないと提言されました。びっくりしました。それで、横浜の教育行財政研究会などで色々勉強させていただきました。「学校事務」誌にも、持田先生のご著書などを載せております。持田先生の教育論などは、あとで時間があれば触れたいのですが、教えるのが偉いから教えるのではない、教育者と学習者の上位ではない。両者は同等な変革主体であり、共に教育を媒体として成長する、つまり「共育」であると言われております。福沢先生も、先生というのは学習者より少し先に生まれただけであり偉くはない。つまり、偉ぶらないで、謙虚が必要であると言われております。勿論、学習者は先生を尊敬し、敬うことは当然のことです。

 

情報

 

 「学校事務」誌にも書きましたが、近年、「事務とは情報を収集・加工・蓄積・伝達し、組織体全体の情報管理システムで、結局組織の意思決定になくてはならないものである」と、定義づけがされております。情報を重視し、事務の機能を重視したものが、近代的事務論であります。

 先ほどの経緯の所に戻りますが、昭和57年、58年に「会計必携」(公費と徴収金)を刊行しました。昨年改定しましたが、公費は3回目の改定です。この時に、例えば物が必要になった場合「事務職員に連絡する」と書くと、学校では事務職員のことを「事務」と呼び、「伝統的事務論」で、ものを頼むというか、言いつける対象のように思われては困るので「財務担当職員」としまして、行政・財務の判断をする職員と強調しました。何で、学校では事務職員のことを「事務」と呼んでいたのか、多分「教務」との関係でしょうか。教育委員会事務局から学校へ電話するのも「事務の○○さん」と電話してはいけない。「事務職員の○○さん」と言うように言われました。同じことが、いくら親しい方でも「校長さん」と呼んではいけない、「校長先生」と言う、電話する前に必ず名簿を見て、出来るだけ固有名詞でお呼びするなど、礼儀を尽くすように指導をうけました。もうひとつ、「財務担当職員」とした理由は、学校徴収金会計の小学校の場合は事務職員が単数の学校が多いので、教諭の方々も会計の一部を担当するケースもあるからです。

 

民間企業に学ぶ

 

 この頃、今から40年前ですが、大学の同期の友人のいる民間企業に、主に給与の銀行振込につて勉強に行きました。もう当時給与は個人預金口座に入っており、いろいろ学びました。驚いたことは、給湯器がその頃既にありまして、当事者がお茶を入れてくれまして、他の職員に手間を掛けないようにしていました。これを学校に入れようと思いました。学校にポットと急須・湯飲・茶葉とをセットにして自分でお茶を入れることは、ここでヒントをもらいました。電話も、当時は、交換手を通していたのですが、ダイヤルインで当事者に直接かかるようになっていました。これもヒントになり、今は学校にビジネス・ホーンが入り、電話を取ることを職に固定せず、全員で取るようになりました。会議なんかも簡単に、お茶なしでしていましたし、複写機もよいものが入っていました。一番驚いたのは、権限の委譲が進んでいることでした。部長決裁を課長に下ろす、課長決裁を係長に下ろしたりしていました。

 この経緯の空白の時代に、色々と勉強しました。「会計必携」などマニュアルを作ったのも沢山の目的がありましたが、目的の一つは当時26あった行政区の区役所ごとに、少しずつ会計の判断が違っていて、これが私たちが転勤を嫌がった理由の一つでもありました。今までの経験が生かされないからでした。全市共通なものを作ろうとしましたが、これは区役所も喜んでくれました。

 この時に、「予算執行について財務担当職員の判は絶対に省略出来ない」という一文を入れたのです。と言うのは、30年以上前ですが、恥ずかしいことですが、予算担当の事務職員に連絡なしに物を購入したり、修繕したりしてしまうケースがたまにですがありました。それを防ぐために、事前決裁の励行をするために、この昭和57年、58年の公費・徴収金の「会計必携」には仕事の、そして書類の流れを入れました。それまでも、マニュアルがありましたが、どこにだれの判を押すかという平面的なものでしたが、この時から仕事の流れを入れました。口頭でなく書類で決裁を行う、その過程に必ず行政・財務の判断を入れるようにしました。

 徴収金会計も、大阪市の場合、徴収金で必要な経費を年度始めに全部を予算書に入れて保護者に配布して、定期徴収することで、年度途中に調理実習の現品の持参はしない、問題集を本屋で買うことはしない、現金を集めたりしないと言うことで、生活指導上もそのようにしております。そして、標準運営費により、公費と徴収金との、公私負担区分を明確にしております。

 この「会計必携」マニュアルは私たちの仕事がルーチンワークだけでは、たち行かなくなったから必要になりました。出来るだけ、ルーチンに手間をとられないで、レアー・ケース、

経験したことのない新しい仕事が色々と出て来たからです。私たちの仕事の根拠は法令です。経験も大切な要素ですが、いつもこうしている、前はこうしたと言う経験至上主義では乗り切れなくなって来ました。標準運営費は、冒頭申し上げました通り、教育委員会に予算編成権がなくなったのですが、学校教育の財務的裏付、シビル・ミニマムが必要であります。

 それで、もう一つ、予算を計画的に執行するという予算委員会を教育委員会が各学校に作ることをはっきり「学校財務取扱要綱」に明記しました。そして、その運営責任者は事務職員であるという文言を入れました。これは次の世代に形のあるものを残すということです。皆様方もお読みになっておられると思いますが、私も若いときに読みました内村鑑三先生の「後世に遺す最大遺物」と言う本がありますが、後世に遺す一番のものは後世に役立つお金、次は事業、次は思想、文章、それもない者は高尚な生活を送るというものです。私などは能力がないので、せめて高尚な生活を送りたいと努めておりますが、常に現在の自分の事ばかり考えずに、常に後世の人々の事を考えて、形のあるものを遺す努力が必要だと思います。後で「あの頃の人は何をしていたのか」と言われないようにしたいと思います。

 そのことは、雑誌「大阪人」問題の時に、事務職員の幹部というか年配の人々が、若い人々から、あなた達は教育委員会の人と仲良くはしていたが、「次の世代の私たち若い者に何を遺してくれたのか」と言われている場面を経験しまして、私もしっかりしないとあと何年かしたら、あのようなことを言われるのかと思いました。

 標準運営費の改定を平成12年に行いましたが、その際、標準運営費を十分活用するため理解するためのフォローの費用、『ハンドブック』の刊行費用も入れてもらいました。これは、何かをする時には絶対必要ですが、忘れやすいものです。手引書みたいなものです。これに「学校財務の目的は教育活動の円滑な遂行と学校の管理運営である」と入れました。つい、教育活動だけに目が行くのですが、教育活動の基盤である管理運営が重要であるということが入っております。そして、学校財務は全職員で行わなければならない。しかし、特に事務職員の果たす役割は大きいというようなことを、具体的に事務職員が中心であることを入れてもらっております。それから、予算委員会をするということでは、事務職員は単なる計数処理に終始するのではなく「財務担当職員として教育活動や管理運営活動を円滑かつ効率的に行うために中心的な役割を果たす職員である」と、これは事務職員だけに配布している訳ではなく、校長先生、教頭先生にも配布しています。つまり、全教職員向けのものです。学校財務は教育活動を円滑に推進するためにあるのですとスーと通り越さないで、必ず管理運営活動つまり学校の基盤である教育行政のことも入れるという努力です。これも、後世に遺すものです。われわれノンティーチングスタッフも教員と対等平等に子どもたちの学校教育を保障しているのです。果たす役割は違いますが、ライトが当たっている人だけで行っているのではないのです。

 

組織と個人の混同

 

 組織と個人を混同していることがあるようです。職の上で上位、上司であっても、人間的に上位では必ずしもない訳です。全部、自分の言うことを聞くものだと思っている。それは、職務内容の範囲内だけであって、人間としては全部対等平等であります。独立した人格者である。そういう人を学校は育てているのではないでしょうか。

 30年ぐらい前は、ピラミット型の世界だったのです。例えば、こちらのことを言っているのではないのですが、大阪市の事務研究会でも、部員、部長、副会長、会長となった後は監査と言う段々、俗に言う、偉くなって行くというコースでした。それは違うのではないかと、学校でもそうではないかということで、ヨーロッパでも所によっては、校長先生は別のところから来る。つまりマネジメントの専門家が来る。先生が功なり名を上げて校長先生になるのではないのです。その道の専門家がなる訳です。ピラミット型ではなく、ネットワーク型なのです。われわれも自分のところから率先して、年功序列を変えようということで、私は副会長から研究部長になり、中学校の事務研究会の会長も研究部長になり、研究活動に専念するようにしました。そして、共に先ほどの一連のマニュアル作りに専念しました。会長は会長、研究部長は研究部長と、どちらが偉いというのではなく、適材適所であればよいと思いました。

 「会計必携」等を作るときに、教育委員会の方がマニュアルの目的は何ですかと尋ねられたのですが、「脱マニュアルです」とだけ答えました。マニュアルから抜けるために、先ほども触れましたが、「ルーチン・ワークから抜けることです。ルーチンだけをしていては、いつの間にか機械に代わられて職がなくなる。」これから、時代が変わって経験したことのないレアー・ケースが沢山出て来る、それに対応するためなのですが、子どもたちのために・・・とか長々と説明するより、短く含みのある答えが効果的です。一連のマニュアルを作ることは、機械化の準備となり、合理化による人減らしに繋がるという危惧がありましたが、それは十分気を付けました。未だに、学校に端末機が入っていないのは、私たちの意識が、世話型や補助職員でないという意識がまだ道半ばであるからです。もっとしっかりしないと、単なるキー・パンチャーになってしまうということで、事務センターには機械が入っていますが、学校には端末機は入っていません。機械化だけが、事務の近代化ではないのです。

 

事務指導主事

 

 これも、事務局に置いておきますが、これは「新任教員のガイダンス」という冊子です。これは忘れ物をよくする子どもをどのように指導するかといったような新任教員向けの冊子ですが、20年まえ頃からあったのですが、いわゆる指導関係ばかりで、行政・財務関係の項目は入っておりませんでした。働きかけをしまして、今から10年ぐらい前に「授業に必要な物はどのように調達するか」という項目を2ページ入れてもらえました。予算編成の重要性、事務職員の役割等です。教員の方々がなかなか行政・財務や会計手続きについての理解がないとを言われますが、専門が違うのでやむを得ないと思います。それなりの、こちらからの働きかけがあり、よく説明をすれば理解が得られます。特に、事務指導主事として、教員の方々の新任研修の機会に、このような冊子を活用して理解を深めることが有効です。

 そういうことで、世話型・補助型からの脱皮、職の確立、属人的から制度へということで、変革の時代を生き抜く努力をして参りました。事務指導主事の職務内容は3ページの通り、1、事務職員にかかる研修の企画・立案・実施、2、財務会計事務に関する管理職等への指導、3、学校事務に関する調査研究、4、事務研究会との連絡調整です。

 研修というのは、権利であって義務ではないのです。嫌々研修を受けても、効果はありません。いわゆる「?啄同機」です。ひよこが卵の中から生まれたいと、中から卵の殻をつつきますときに、親鳥が外から卵の殻をつついて、いわゆる同機でひよこが目出度く誕生する訳です。嫌々出席して、居眠りをしているのでは勿体ない話です。事務研究会が実務研修を主に実施しておりますが、資質向上と言いますか、情報公開法などのタイムリーなものや財政学などの大学の先生の研修は、私たちが教育委員会の中に入って研修の企画・立案・実施をしようとしました。昭和62年に1名、平成2年に私たち3名が就任し、現在は8人目か9人目の方を含めて3名で行っております。ご存じのように、昭和61年に京都市で樋爪氏が指導主事になられましたが、大阪市は、京都市の1年後ですが、京都市と違うものを考えました。つまり、事務職員の指導でなく、主に教員の方々の財務についての指導としたり、1名でなく3名にしたり、工夫をしました。従来は、どこでもそうだと思いますが、事務職員の研修は教員の指導主事が担当されておりましたが、研修原案の作成等、つまり研修の企画・立案・実施は私たちの事務研究会に依頼があり、実質的な担当をしてきた実績がありました。

 管理職への財務の指導ですが、故持田先生の教育論のように、偉いから指導するのではなく、管理職の先生方は専門が違うので、御存じないのが当然であります。学校事務という狭い分野の話ではなく、行政・財務についての、ご理解を深めていただくためであり「指導・助言」というのは、権力的な作用ではありません。具体的に申しますと毎年50名以上の、年度によりますと100名近い校長先生が就任されます。その方々の新任校長研修会、新任教頭研修会が5月から始まりますが、そこでお話しをさせていただきます。よく、視察の方々からアレルギーはありませんかと、懸念されるのですが、校長先生方も教頭先生方も私たちが「会計必携」等を担当したり、事務研究会で活躍していたことをよくご存じなので、アレルギーはありません。

 内容は、行政についての厳しい現実、学校事務再編成、学校財務取扱要綱、会計の原則(予算編成、事前決裁の重要性)(正しく・早く・明瞭に)(物が欲しい人と注文をする人と支払いをする人は別)等をお話しします。事務論も触れますが、10年前、20年前の学校事務を忘れていただきたい。職員の世話をしたり、補助をしたり、便利な職員ではない。主体的に行政・財務の役割を果たし、学校としての意思形成過程に参画することによって、最高責任者である校長先生の判断が一層、行政面、財務面でも揺るぎのないものになるよう尽力していることなどをお話しします。そして、2学期に、新任校長先生、新任教頭先生、新採用の事務職員を配置した学校の訪問をさせていただきます。その場合には具体的な、その学校の行政・財務の事情や悩みなどを伺い、学校事務再編成・学校財務取扱要綱の定着等の状況を伺い、教育委員会とのパイプ役を果たします。事務職員の能力を十分発揮できる条件整備等も伺います。決裁、学校としての意思決定を文書で行う、その際、行政職員の行政・財務の判断を必ず事前に入れることも申し上げます。

 新採用の教諭、養護教諭、栄養職員が毎年250名以上おられますが、新任研修の講師も担当します。先ほど申しました、新任教員のガイダンスの冊子等を活用し、行政・財務・会計等について分かりやすく説明をします。この若い時の研修は大変有効です。兎に角、学校で授業等教育活動の計画・準備を始める時は、まず事務職員に相談してから動くことを伝えます。

 次の、学校事務の研究は当然のことですが、全国各地から来られる視察の対応もこの項目から担当いたします。次の事務研究会との連携を事務指導主事の職務に明記したのは、教育委員会として、事務研究会を重要視していることであります。

 

勅令主義と内外区分論の亡霊

 

 勅令主義の亡霊ですが、一口に言いますと、学校教育は特別扱いはされていないと言うことです。ご存じのとおり、戦前は、軍隊と教育は、天皇の命令、勅令によって行われ特別扱いをされておりました。現在は、法律主義で、三権分立の行政の他の働きと同じ扱いです。特に、財務面では、市長部局と同じ会計規則、契約規則に則って判断されます。つい自分たちは世の中の良いことをしているから、当然特別扱いをされるものと、つまり聖域と考えやすいのですが、それは誤りです。まだ、学校には勅令主義の亡霊が時々出て来るのです。

 内外区分論、内外峻別論の亡霊ですが、主張された当時は、国家権力が学校教育に介入することを防ぐという一定の意義はあったのですが、現在では、逆に、「専門分野のことは専門家に任せておけ」、専門分野については「素人は口出しするな」という悪い面が残ってしまっております。極端な例は、学校で自分の学級の子どもには他の職員は口出しするな、指導をするなということや、教育活動について、他職のものは口出しするなということです。学校は個人の職員が子どもを預かり、指導している私塾ではないのです。組織として、学校全体として預かり、指導しているのです。民主社会では、シビリアン・コントロールが原則であります。教育委員会制度もそのような原則の上に成り立っております。現在では、専門家は専門でない人々に、自らの専門分野について説明し、納得してもらう説明責任が負わされております。

 

変革する気概

 

 事務指導主事の所に書いておきましたが、私たちの活動は、(1)子どもたちを忘れてはいけない、大切にしなければならないとかいう「心構え論」は大切です。しかし、それだけでは不十分です。また、(2)「実践論」ですね、事務室経営論、事務指導票など一定の枠内での研究・活動も大切ですが、それだけでは進歩、発展はできない。(3)として、われわれが進む場合は「変革、世の中を変える、自分たちの変えられる範囲で、学校とか身近のものから変えて行く」という気概でこの30年間自分自身に言い聞かせながら頑張って参りました。学校事務再編成で事務センターなどの発想が生まれて来た訳です。  

 

学校事務再編成

 

 それから、「学校事務」誌の連載にはあまり書けなかったのですが、特集号には大分書きましたが、私たちが事務センターだけでなく、色々なことを行いました。プリントの2〜4ページにありますように、「学校財務取扱要綱」の制定と事務センターの設置と事務指導主事と体系的研修制度の充実があります。

 まず、「学校財務取扱要綱」に関するものとしましては、そこのイのその制定に関連するものとして列挙してあります。「学校財務取扱要綱」の外に、1、「標準運営費」の改定、「同ハンドブック」の刊行、2、学校長専決限度額改定(小中は50万円、高校は80万円)、3、事務管理室の設置、4、執務条件の改善、5、事業資金の資金前渡職員、6、記帳事務の軽減、7、転記事務の軽減、8、管内出張旅費請求事務の軽減、9、建物修繕の業務委託、10、調達方法の多様化等があります。その他、ここには書いてありませんが、学校から事務センターに提出する予算執行、旅費執行に関する書類の印は事務職員の印でよいとしました。学校内での校長の決裁が済んでいたら、提出するのは事務職員の印だけでよいとしました。機械で、予算差引簿を作ったり、備品のラベル等は事務センターで作成し学校に送る。学校で物が買えなくなったと、最初のうちは宣伝されたのですが、上手に行っているようです。私たちが苦労したのは学校で地元の業者から物を買えるようにしょうということで、これは「見積書」添付による依頼という形で行えるようにしました。執務条件の改善で、クーラーを入れるとか、数回線の電話をビジネス・ホーン6台を設置しどこでも電話を取れるようにして、それを回すことにしました。電話を取ることを職の固定でなくしました。組織体にかかって来る電話は全員が取らなくてはなりません。緊急用務のある保健室には必ず1台設置することにしました。このように、色々なことをしましたが、事務センターばかり言われて、少し心外であります。

 事務センター設置について、上昇志向で課長や事務長になりたいから作ったのだと言われたのですが、大阪市の場合は課長中心主義なのです。課長が議会、文教委員会等で答弁するのです。そこまで行かないと意思決定できないのです。いくら、反対だと騒いでも、何も効果はない。物が正式に言えるポストに行くと言う形で、事務センターの所長は課長級、課長代理ですから、課長補佐ではないのです。事務センターには、主査、係長を入れると30人ぐらい管理職がおりますが、その3分の1ぐらいは、女性です。一昨年定年退職しましたが、小学校出身の女性の所長も誕生しました。一般的に、女性の管理職の方が、監査が来ても堂々としています。監査は、学校では出勤簿や1ケ月20万円までの現金が請求により学校に届く事業資金ぐらいで、その他の業者選定などの監査は事務センターが受けます。前にも、お話ししましたが、隆慶一郎氏の小説『死ぬことと覚えたり』、葉隠の武士道を描いたものですが、その主人公は皆の罵詈雑言を甘んじて受けながら、殿を諌言できる地位まで出世する。藩の為に命を賭けることのできる地位まで昇るというものですが、感銘を受けました。

 研修ですが、4ページに学校事務再編成以後に新設された研修の目的等を記載しました。

 

新採用者研修は年間10週間、職員研修所での市職員としての研修も含め50日間行います。事務センターでの3週間の研修も含みます。事務センターでの研修は、仕事を覚えることもあるのですが、事務センターの職員と人脈を作り、学校で勤務した時に、分からないことや困ったことがあればすぐ電話で聞けるようにしております。新採用者の後ろに、事務センターの100名以上のバックアップが居ると言うことです。

 経験10年、20年の職員対象の第1次、第2次研修は、プリントにも記載しました目的の様に、「学校経営・専門的知識・経営能力・指導力・判断力・企画調整力の涵養を図る」ことで、これが大阪市教育委員会が目指す事務職員像であります。従来の研修でしたら、経験者研修でも、事務処理能力の向上など「伝統的事務論」に基づいたものになる所を、このように経営能力・判断力・企画調整力等を前面に、それも文書で出したという委員会に先見性があると思います。内容は、地方財政とか人間関係とか、人権とか、学校は子どもたちがおりますので特に人権についての内容があります。全員対象の一般課題別研修は、内容の主なものを記載しましたが、殆ど大学の先生が担当します。海外派遣研修は、事務職員だけの班編成で私もヨーロッパへ15日間研修に行きました。

 

事例研究

 

 「学校事務」誌にも書きましたが、グループでの事例研究を特に第2次研修ではよく行います。こういう事例があります、例えば、会議が始まったが、私語が多く、なかなか集中できないと言った会議の形骸化をどう防ぐかなどを10人ぐらいのグループで討論する訳です。非常に効果があります。例えば、物凄く人柄はよい先生であるが、「昨日の遠足で写真を写した」と言って領収書を持って来たがどうするか等の事例もあり、それにどう対応するかを討論するのです。小・中・高校・養護学校の職員が集まっていますので、色々な対応があり参考になり、自分の対応がどうだったかを検討するよい機会になります。

 前にもお話しましたが、相談を受けた場合、人の代弁をしたり、解説をしたり、自分が裁いたりしてはいけないと言うことです。臨床心理学の先生の事例研究は本当によい勉強になります。相談をしている人の立場に立って、結論を急がず、素直に聞く。問題になっている人の代弁をしたり、その人はこういう気持ちだと解説したり、私ならこうしたと言ったりして、結論を急ぐと、折角相談をした人は失望してしまうと言うことです。受け入れなくてもよいが、少なくとも受け止めなければならない。私たちも、よく相談を受けるのですが、まずじっくりと相談内容を聞くようになりましたのも、これらの事例研究のおかげです。

 社会学の分野ですが、ゲマインシャフト、いわゆる血縁関係で情の社会で出来ていた社会がゲゼルシャフトへ利益社会になっているから、どれだけ自分に利益があるかどうかと言うことが、尺度になります。当然、各職種の間に、コンフリクト、矛盾、対立が出て来るのですが、それを上手に調整して皆にその能力を十分発揮できるようにするのが、職場の調整役の役目であります。それをマアマアと、おさえるだけの調整役はもういらなくなって来ている。その苦情を言う人の本意を正しく受け止めてること、その人の方が正しいことを言っている事例もあります。

 もう一つは、傍観者的な立場、例えば、会計については、私はよく分からないので任せていますではいけません。会計等仕事の担当者の話、苦労を聞く努力が必要です。岐阜の全事研の全国大会でもお話しをしたのですが、リーダーのLはリッスンのLです。リーダーは人の話を十分、最後まで聞くことです。人が話をしている間、聞いているのではなく、次に何を言おうかと考えている人が多いようです。私も、PTAの仕事をしたことがありますが、学校は保護者の方々にすぐ教えたがる。私は、PTAは、民間の、素人の方の話を謙虚に聞くよい機会だと思います。後で、学校協議会の話も出て参りますが、平素、このような努力をしていれば、よいと思います。

 

経営・管理・運営

 

 5の経営・管理・運営は、関心のある方は、先のコピーを置いておきますので、お読み下さい。ここで私たちが一番困りましたのは、先の経緯の空白の時代によく勉強したのですが、学校にはあるのは、運営で経営はないという風潮があったのです。結局、結論から言いますと、学校は経営をしなければ行けないのに、管理とか運営だけで終っている。そこに問題があるのであって、学校には経営が必要であるということです。これは、近年、牧先生もよく言われており、そのような著書や雑誌「学校事務」にも連載で記載されております。とういうのは、評価、プロは結果、成果主義です。したことで判断、評価される。アマチュアは経過なんです。私は、学生時代からテニスを今でもやっているのですが、学生時代でも試合に負けても、あれだけ一生懸命練習したのだから、負けてもしかたがないと慰められましたが、プロでは、例えばプロ野球では、いくら前の晩に素振りを何百回しても、ゲームでヒットを打たなければ評価されない。プロの厳しさです。その辺の差が、経営なのです。運営はある範囲の中で、限られた枠の中で、英語ですとランニングなのです。経営はもっと発展させて外へ発信させて、外部の評価を受ける、説明責任を果たし、責任の所在、成果を明確にします。

 ここで、一番勉強になりましたのは、先ほども申し上げましたが、九州大学の高野圭一先生の著書でした。6冊ぐらいでしたか、学校経営論ですね、物凄く研究しておられます。これも、お読みになられたことと思いますが、各学説を丁寧に分析されて、批判しておられます。人の中には、あの先生は00派だから、読まない、話を聞かないと言う人がおられます

が、自分と反対の意見を持った先生こそ読んだり、聞いたりして、一層自分の考えを高める必要があります。自分に都合のよい学説だけでは、発展はありません。正・反・合のアウフヘーベンが必要です。

 どうも経営と言いますと、経営者、資本主義、搾取という企業経営の印象があるのですが、それで学者の先生方は経営という言葉でなく、スクール・マネージメントとか学校管理も管理強化などと印象があるので、スクール・アドミニストレーションとかカタカナで表す場合が多いようです。企業経営論をそのまま使わずに、よく消化して自分たちの学校経営論を構築しなければならないと思います。企業の経営論をどう行政の経営論に入れて行くかが課題であります。そのまま入れるということではないのです。そもそも、土台が違いますから。どれだけ、企業経営論の先人の努力を消化するかということです。私たちの顧客は子どもたち、保護者です。今までは、そこに目が届かなかったけれども、株主は納税者、地域住民です。そこには、学校に子どもたちを行かせていない方々もおられます。

 私は、2校の新設校を、学校の開設を経験しました。大阪市は、今は知りませんが、当時は、管理職より先に私たち一般職員の内示を出すのです。校長先生は3月31日の晩に内示があり、教頭先生は4月5日に発令されました。ですから、事前に教務主任の先生や先生方と私、事務職員で4月2日の入学式、8日の始業式や9日からの授業に必要な物や学校生活に必要な物の準備をする訳です。地域社会との連絡も多くありますが、先ほど申し上げましたように、1校は市営住宅が建つと言っていた所に学校が建ち、付近の市場や商店が反対。1校は新設に伴う校区変更で地域が揉めていましたので、仕事は物凄くありました。これで、学校教育の基盤は教育行政であること、地域社会が大切であることが、身に染みて分かりました。学校事務を狭いと言いますと語弊がありますが、行政の基盤と言いますか、行政の母船の上に教育が活動しているという、もっと広い行政の重要性、基盤性が理解できました。よく事務指導主事は学校事務を指導するように言われますが、そういうこともありますが、もっと広い行政について指導しているつもりです。誤解をされないようにしていただきたいのですが、私たち行政職員は行政の当事者と言いますか、自分が教育長であるといった気概或いは、視点で仕事をしたいものだと思います。そういうことは、これからも多く出て来ると思います。

 

 

 

文書事務

 

 従来の文書事務は、学校に来た文書をきちんと整理して置くという後ろ向きのものでした。これは、決して悪いと言っているのではなく、そういう時代でした。私たちが昭和40年代に考えましたのは、「学校の意思決定を文書で表す」と言うことです。この場合文書と言うのは、形のあるものという意味で、磁気媒体によるものも含みますが、従来のように、口頭で済ませたり、会議等でいつの間にか決まっているなどということがないようにしようと言うことです。例えば、地元の人が「修学旅行はなぜあの業者です」かと聞かれても、はっきりと説明できる文書がない。標準服を薦めていますが「その決定した内容を見せて下さい」と言われても説明する文書がない。これは経営論ですが、これからの文書事務は、学校という組織体としての意思決定を文書で表す。これからは、電子政府とか電子県庁とか言われていますが、学校も同じことなのです。文書、簿冊の私物化を防ぐ、全部各職員の手元に持っているのでなしに、公の物はきちんとした所定の場所に保管する。共通の物とする。

 

情報管理

 

 文書もこれからは磁気媒体等怖いです。コピーされて。学校が一番困るのは、情報公開もよく分かるのですが、学校には個人情報が非常に多いのです。個人情報をどう保護するか、人権をどう守るかです。それを進める主体になるのが、バランス感覚を持つ事務職員であると思います。と言うのは、これからの学校は民生局の仕事、生涯学習の仕事、社会教育の仕事や色々な分野の、従来の縦割りの施設でなしに、総合的な地域の文化センターとなると思います。その時にマネージメントが出来る者は、行政と教育とのバランス感覚を持つ行政職、事務職員であると思います。

 

教育について

 

 これは、上級職採用の皆様方には失礼なのですが、雑誌の連載に多数ある文献の中で数を絞って記載しました。昭和46年に堀尾輝久先生の「現代教育の思想と構造」に接し、ヨーロッパの市民社会、公教育の経緯(教育の私事性、産業革命、労働力、慈恵の教育から自らの手による教育、チャーチスト運動、ティーチとインストラクト等)を学び、現代の教育について、その理念・現実・課題を考えて参りました。その堀尾教授が平成5年、東大を退任され「日本の教育」を刊行されましたが、私も自己の思考・活動を問い直すよい契機となりました。

 持田先生の教育論と言いますのは、教育によって成長発達を促進されるのは、学習主体だけでなく教育主体も教育を通じて自己変革を迫られる。まさに「共育」である。つまり、教育主体は学習主体の上位者ではなく、共に教育を媒体として成長する変革主体であるとされています。

 従来の学力は記憶力を主体として参りました。それも大切ですが、集団で体験し、考え、判断し、たくましく生きる力を育てること重要であること、教育であって教化でないことを学びました。

 

担当者の話を聞く

 

 先ほども、リーダーのLはリッスンのLと申しましたが、校長先生方にお願いをするのですが、常にと言いますか、せめて月に1回か2回は、せめて2時間ぐらいは、会計担当者の話をじっくり聞く機会を作っていただきたいと。事務室は色々な情報が豊富にあります。校長先生の会計に対する意識を持っていただくために、マニュアルも作成しました。安易にお金を集めない。集めたお金は正しく使うということを指導していただくためです。学校は信頼が基本であります。

 学校財務とか学校会計についての住民の意識が高揚して参りましたのは、先ほどの主な経緯の昭和47年以後の空白の時代には、大学紛争、学生運動が盛んになり、当時私は中学校に勤務していましたが、中学校にも、会計公開の要求が出て参りました。例えば、生徒徴収金の内容、修学旅行の会計等です。幸い、私は、いつも保護者の集会で十分に説明をしておりました。修学旅行でも職員の費用は、正当な旅費で賄い、生徒に負担させていませんでし、預金利息も生徒の費用に使っておりましたので困りませんでした。修学旅行の下見の費用も明確にしました。これらの動きは、当然なものでしたし、私たちが実践していたことが先見力があったと評価されました。これは、当時の校長先生が私たち担当者の話をよく聞いて、理解して、実行して下さったからだと思います。

 

職務標準表

 

 佐賀県の、職務標準表は本当によく出来ております。特に、この「記」の部分、『経営会議の参画する』これが経営参画のことです。参画は片隅に参加するのではなく、お茶の世話をするためでもなく、参画は積極的な働きをする能動的な表現です。経営参画については、静岡のものもよくできております。このようなものを作る時に、これでは新採用の方には無理ですからとよく言われるのですが、例外を主体に持って行ってはいけない。中核の層に標準を合わせて、例外は例外として、それなりの配慮を講じればよいのです。

 私はよく言うのですが、学校では直接教育活動至上主義に陥りやすい。子どもたちに接していることが一番貴いように言われます。それは貴いことは貴いのですが、この職務標準表にあるような仕事、教育行政の基盤があるから学校教育が安心して出来るのであって、決して雑務でも補助業務でもない。学校の全職員が各の役割を果たすことによって、子どもたちの学校教育が保障されている。これは、教育委員会事務局、教育事務所の職員も含めて総合的な働きであります。チームワークですから、職務上支えたり、支えられたりしますが、一方的に、職に固定して補助をしているものではありませんし、人間的に上下の関係ではありません。人と職の混同をしてはいけないのです。

 

まとめ

 

 以上を簡単に、私なりにまとめますと「情報」とは、ある一定の目的に対して意味を持つ事実、ないしは知識(インフォーメイション)です。「事務」とは、その情報を収集・加工・蓄積・伝達する組織体全体の情報管理システムであり、組織体の活動・経営に必要不可欠な要素です。前向きなもので、決して、後始末的なものでも、つじつま合わせ的なものでもありません。「経営」とは、組織の活動の条件整備で、一般には人・物・財・組織・情報の活用であり、マネージメントと言われております。そのマネージメントの上に目的・目標を設定し、組織的な意思決定を行い、組織的な活動を行い、その成果を客観的に評価するという「計画・実施・評価」の経営サイクルの上に、その評価を次の計画に生かすことです。当然に、透明性が要求されます。

 近年、ドラッガー氏の非営利組織の分野の経営論や、行政経営ということで、上山信一氏の「行政評価の時代」「行政経営の時代」がよく読まれております。学校教育も、教育経営論が1950年代に永岡先生などから提言・研究されております。牧昌見先生の雑誌「学校事務」の連載「教育経営学入門」、牧先生の「学校経営の基礎・基本」は分かりやすいものです。仲間内の論理だけでなく、経営センスを持った、社会に通用する学校にしたいと思います。私の連載の中に、経営に関する文献も紹介してあります。

 学校経営は主体的な創造的機能を持った組織目的達成のための組織的な意思決定による計画・実施・評価と外部への働きかけ、情報発信が重要となります。近年、校区制の緩和等の動きも出ており、特色ある学校づくりによる児童・生徒の獲得の経営努力が必要になってきました。

 学校管理は、若干の裁量はあるとしても、一定の制度の中で、法令、例えば法律、条例、規則、通達等を執行することであり、学校運営は、その与えられた枠組の中での創意工夫する目的達成のための技術的な活動と言えます。組織の意思決定は、学校管理と学校運営の総合的な作用である学校経営の働きとして行われます。勿論、学校の目的には、教育だけではなく、その基盤である組織の管理運営という行政・財務も入ります。学校の活性化のためにも、全職員による経営参画が期待されます。清原先生が、学校管理規則に代わるものとして、学校経営規則を提言されておられます。 近年、学校に対しても、予算の適正執行等住民の行政・財務面の期待が高揚しております。私たち行政職員は、行政・財務面で学校の最高責任者である校長の組織的な意思決定を一層揺るぎのないものにするために、積極的に経営参画することです。そのためには、私たちの資質向上のための体系的な研修が不可欠です。

 実務研修で私たちが講師になることは、講師自身のよい勉強になります。私はいつも講師の方に話をするのですが、質問が出たからと言って、すぐ答えないようにして欲しい。研修を受けている方々と一緒に考えるヒントぐらいにしておかないと、本当の実力は付かないのです。つい、講師が、自分がその質問の答えを知らないと思われるのではないかということで、すぐ答えてしまい易いものですが、それを我慢することが大切です。研修には、教育理解をするための内容も入れるようにしております。やはり、先生方の仕事や苦労も理解する必要があるからです。また、教育を語る事務職員であって欲しいからです。

 

経営の現代化

 

 経営論の近代化ですが、近代化が良いと言っているのではありません。テーラーをはじめとした当時の先覚者は、当時の原始的な労働状況について、8時間労働や流れ作業の導入、大量生産など、合理的でよかったのですが、結局人間疎外となってしまった。チャップリンのモダンタイムスの映画のように、人間が機械の一部になってしまった。途中は省略しますが、現代になって、松下幸之助さんが現代化しようと、人間性を回復する努力をされました。

 経営をオープンにするため、経営参加を日本で一番先に実施し、労働組合の幹部を取締役に入れて労使の経営を行いました。経営参加といっても、経営方針など高度なものだけでなく、組織の意思決定に細かいことでも、物を購入することでも、組織の意思決定に係わることが重要であると提言する学者もおられます。これらの文献は、冒頭紹介しました冊子に記載してあります。

 

阪神・淡路大震災のお礼

 

 このことは、どうしてもお礼を申し上げなければなりません。阪神・淡路大震災から6年が経過しましたが、私は、あの高速道路が倒れた近くの甲子園に住んでおります。ガスと水道が2ケ月以上止まりました。その回復工事に全国から、こちらからも来ていただいたことと存じますが、夜を徹して、あの極寒の中を、懸命に工事をしていただき、頭が下がりました。お陰で、2ケ月で回復出来ました。ライフラインの大切さを痛感しましたし、全国の人々の人間の情けに、しみじみとありがたさが分かりました。体験談は「学校事務」誌にも記載しました。高い所からですが、心からお礼を申し上げます。各地に講演に呼んでいただいた時には、必ずお礼を申し上げております。

 その時感じたことですが、学校が避難場所になるのは、緊急避難でよいのですが、校長先生にあらゆる避難の責任を持ってもらうのは、酷です。せめて、1週間が限度で後は、その道の専門家が調整する形が望ましいと思いまして、発言をして参りました。結局は、そのようになったと伺っております。家でも職場でも、上に物を置く場合は、しっかりと落下防止策をすることなど、身近な危機管理の大切さを学びました。

 

フォローの風が吹いている

 

 最後になりましたが、これは私が40歳ぐらいの時に、藤本義一氏の講演の仕事をさせてもらいました折に、いただいた色紙です。「夜明けが近い、帆をあげろ」と書いてあります。私にとって、物凄い励ましになりまして、じいっとしてないで、積極的な行動を起こす、帆を上げるきっかけになりました。現在は、私たちにとって教育改革のフォローの風が吹いております。あと、5年経つと、これが止まってしまうかも知れません。その時に、あの頃の人々は何をしていたのかと言われないように、帆を上げて、何か形のあるものを創る。それは、個人では無理ですので、組織です。事務研究会に力を結集して進んで行かれたら一番良

 

いと思います。最後は、偉そうなことを申し上げましたが、お許し下さい。雑ぱくな話で5分オーバーしましたが、これで終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

 

 

質疑応答(森副会長)

 

 副会長の森です。皆様を代表して質問するという役をおおせつかりました。このような  役目はやったことがありませんので、皆さんの意に添うような質問ができるのか、自信がありませんが、只今から質問の時間に入りたいと思います。岸先生は、今日の昼過ぎ佐賀に着かれて、2時間みっちりと講演をしていただきました。これから、引き続きの質問時間で、大変お疲だろうと思われますが、よろしくお願いいたします。

 実は私が代表質問をするという時に、岸先生がお書きになった「学校事務」誌のミニ講座を知っているかということがありまして、いや読んでいないと言ったら、すぐ読めよと言うことでした。読みやすいように、その「学校事務」誌からコピーをとって、ここに持って来ております。これに添って「変革の時代を生き抜く」「経営参画への道」ということで、話されるのだろうと思っておったのですが、冒頭、私たちがやっていることについて、「こういう方向だよと安直な答えになるものはない」とおっしゃいました。その通りだと思います、御自分の豊富な経験から淡々とお話しになりました。その中から、会場の者が汲み取って行くスタイルで講演をしていただいたと思っております。私は代表質問者の立場から、ある程度直接的な質問をしていきたいと思っております。

 レジメの中にもありますが、今年も事前に会員の方から質問を募りました。4地区から14本いただいております。それを大別したのが、5ページの上の方に書いてあります。これも、直接聞かなければならないかと思いますが、代表質問の項目で、7つぐらいに分類しておりますので、これで質問に変えたいなと思っております。これはよろしいですか。

 会長の挨拶にもありましたように、佐事研が発足してから4年になりますが、その間に3回のセミナーを行いました。講師は、文部省の高木さん、勝山さん、そして岸先生ということで研修の大切さを意識した、セミナーを開いて来たところです。改革を乗り切るためには、事務職員の意識改革が必要だとの認識が芽生えて来たと思います。自己啓発、意識改革をしようという動機が芽生えてきていると分析をしております。ただ意識改革が進んでも、事務職員の向上とか、職務の確立とかを指向して行く中で、研修なくしては達成できない訳で、研修に力を入れるようにしております。ただ、県の教育委員会の方が、私たちが「研修をして欲しい」と要望をしても、なかなか重い腰を上げてくれないということもあります。職の確立あるいは向上には、体系的な研修が必要だと思うのですが、佐賀として体系的な研修の場がないという状況があるのです。その辺で、佐事研として、そこまで踏み込む必要があるかどうか、お尋ねをしたいと思っております。

 それと、意識改革にも係わることですが、事務職員は、一人で大勢の人と学校の中で対峙をしているということで、なかなか自分でこうやりたいと思っても、雰囲気に呑まれて押されて、なかなか自分の思う行動が出来ない部分があると思います。紙面で質問を寄せた者の中にも、学校に根付く土壌としての学校の態勢という部分に圧迫を受けて、なかなか取り組めないというようなことがあるようです。それを大阪市では事務指導主事がパイプ役になって、校長へ、あるいは教育委員会へという形で働きがなされていると思いますが、佐賀はそういう制度がない中で、学校で悶々としている人達への手立てがございましたらお願いをしたいと思います。

 

 お答えになるか分かりませんが、大変当を得ている質問でございます。私たちも、悩み  ましたのは研修は必要であるということは分かっていますが、強制的な研修というものは効果がないのではないかと思っております。組合とも協議をしましたり、自主・民主・公開という形で、我々が教育委員会の中でおこなっております。その前は、事務再編成の前は、教員の指導主事が担当されておりましたが、事務研究会がそのカリキュラム等の原案は作成

 

しておりました。一方、実務研修は事務研究会が行っておりました。やはり我々がカリキュラム等を作ることが必要だと思います。それは、私たちが一番、私たちに必要なものを知っているからです。県の職員は係長とか課長の研修はありますが、一般的にそう多くない。同職の集団の中で、先輩の背中を見ながらキャリア形成がなされるからです。私たちが一番困ったのは、何で学校の事務職員に、そんなに研修が必要なのかが分かってもらえなかったことです。私たちは個別分散的に学校に勤務し、圧倒的多数の教員の中で、多数の他職の方々と対応している少数職種であります。清原先生の言われるキャリア形成ができる機会が少ない職場です。それで、研修が必要なのです。

 学校で正論を言いたくても、なかなか言いにくい。特に、小さい学校では人間関係がありますから。それで、事務指導主事が学校に行って、校長先生、教頭先生とお話をする。一番効果的なのは、教務主任クラスの先生とお話をすることです。と言いますのは、教頭昇任試験に「学校の年間予算執行計画の策定の意義と事務職員の役割について記せ」というような問題が以前ですが出ました。教育委員会として、全体的に事務職員の重要性を認識して、そのような問題を出したのです。勿論、教育関係の問題が多いのですが、教職調整額、給与支給の三原則等行政面の問題もよく出ますので、その方面の研究会に呼ばれました。これは、教育委員会の度量と言いますか、こういう問題も入れてくれております。

 事務指導主事は学校に広い行政についての認識を、意識を高めていただくために努力しているので、勿論学校事務の分野のことも、それに含まれますが、もっと広い行政・財務の厳しさを認識していただきたいと努力して来ました。

 

 ありがとうございました。やはり、佐事研発足より4年という短い時間ですので、あま  り結論を急ぐのも、何だろうと思うのですが、時代がこういう時代ですので佐事研としても何とか前に進みたいという気持だけが焦っている部分もあります。実のあるものにするためには、もっと研究会が充実しなければならないと、お話しを聞いて感じておるところです。

 

 研修ですが、参加は強制していません。しかし、会場の準備等で参加数を確認するため  に、欠席の連絡だけは、文書でもらっております。出席率は90%台でなかなか高いものです。第1次、第2次研修を夏季休業中に行っていますが、アンケートを取りましたら、その方が学校を気にしなくてよいから、その時期に集中的に行って欲しいと言うことでした。第1次研修は6日間、第2次研修は4日間、1日4コマです。内容についても、色々意見を聞きまして、改善をして参りました。無理をしますと、長続きをしないと思います。

 

 時間がありませんので、先を急ぎたいと思いますが、2番目としまして、組織マネージ  メントの発想ということで、レジメに書いてありますが、教育改革国民会議の中で「組織マネージメントの発想を学校や教育委員会に取り入れなくては駄目だ」との提言がなされております。中教審の中では、そこまで具体的には言わなくて「校長の方へマネージメント能力を高めるようにしなさい」というような程度であったのですが、その教育改革国民会議がマネージメントの発想を学校や教育委員会に求めることの意味合いがお分かりになったら伺いたいと思っております。 

 それともう1本なのですが、学校運営と学校経営という所なんですが、これも教育改革国民会議の12月に出された答申の中で、一般的には、学校運営と表現されているのですが、教育改革国民会議の新しいタイプの公立学校、コミュニティー・スクールの所で使われている言葉が、学校経営という言葉を使っております。新しいタイプというのは、「市町村が校長を募集をして、校長が教諭を集めて来て、そして計画に基づいて教育をやる、その評価については、地域の専属の学校協議会の人達が判定をする」新しいコミュニティー・スクールを推進するという風に国民会議は書いているのですが、この中で学校経営ということが出ているのですが、学校運営と学校経営とを国が二つの部分が使い分けをしていることについてお尋ねをしたいと思います。

 

 われわれは、「この変革の時代をどう乗り切るか」という、昭和30年代、昭和40年  代に考えて任務論などを勉強しまして、結局これからの生き抜く道は、世話型や補助職員ではなしに、学校経営の中核となって、学校に、地域に無くてはならない職員になって行こうとしました。そのためには、学校事務にかたよらないでもっと広い、学校が地域社会の文化センターになる場合のマネージメントを行うという、運営でなしに経営が大阪における改革のポイントだった訳です。それで、高野圭一先生の色々な経営の勉強をして、教育委員会にも分かってもらえました。それで教育委員会が学校事務再編成の提言の中に「事務職員の学校経営に参画する条件整備を行う」と言う一文が入りました。それに基づいて、研修に予算を、予算をつけることはなかなか難しいのですが、予算がつきました。

 経営と運営と管理の違いを勉強しましたが、国がどこでどう言っているかを考えるよりも、実際学校で働いている、私たち自分自身が決めることだと思います。私たちが、地方が国を動かして行く、地方分権の本質は、活動している出来るだけ近くに権限を置くものです。私たちが学校にいて、一番よく内容を知っている訳です。経営・運営については、大阪のセミナーの冊子を置いておきますので、関心のある方は参考にして下さい。本日のお話もこの冊子の内容も、あくまでもご自分たちが考えるヒント、参考です。これは、視察に来られた方々にも申し上げるのですが、どこかに正解があって、それを探す方がおられますが、答えはご自分たちで創り出すものです。冒頭、申し上げましたように、各地全部事情、条件が異なりますので、オリジナルが必要です。同じように、研修の基本は自己啓発です。お一人お一人の期待が異なるというのが集合研修の宿命です。研修は正解を示すのではなく、各人の自己啓発をし、考えて、各人が答えを創り出す契機として、その材料を提供するものです。

 先ほども申し上げましたが、我々のスタンスを変えなければ、いくら改善をしても、世話型や補助職員では、「経営だ」「運営だ」と言っても本質的な改善にはならないと思います。これは、私たちが昭和30年代、40年代に考えまして、職務の中心を給与・福利厚生から財務、行政面で学校経営に参画するようにスライドさせることにことです。

 その一例が、昭和40年代ですか、50年代ですか、当時は互助組合等の給付・貸付・人間ドックの申し込みなどの個人的なものも事務職員が係わって世話をしていましたが、それを本人が郵便で直接行うようにしました。共済組合の資格などの手続きは行いますが、それも互助組合と連動しています。権利は本人の申請によって実現されるものだと思います。世話型からの脱皮です。給与の個人預金口座への振り込みも定着しており、給与の支給事務は少なくなりました。事務センターが頑張っております。手当の認定は行っております。

 

 先ほどのお話しの中で、プロとアマとのことの話をされましたが、枠の中で行うのが運  営であると言われましたが、今、私が質問した部分で、新しいタイプの公立学校は、枠を外した、失敗をしたら学校を潰すよとか、学校長をやめさせられるよとかいうような学校協議会の基にその責任を持たせてやって行く、というような見方をしたから経営と言う表現をしたのかなあと思ったのですが、それで、一般の学校は運営という表現をさせられているので、枠の中で動いてよいということではなくて、今の改革の時代であるならば学校経営的な視点を持って、学校を運営して行くことが必要だなと感じているのですが、そのような見方でよろしいでしょうか。

 

 この前も、他市で言ったのですが、経営とか運営とか、そんなに言葉にこだわるのだっ  たら、はっきりとスクール・マネージメントというカタカナで行きましょうかと。要は、実質ですから。実質、学校の意思決定に、どれだけ係わるかの問題ですから、言葉にあまりこだわらずに、福岡市はスクール・マネージメントとして、進んでおられます。それも一つの方法で、よい知恵だと思います。

 

 続きまして、学校経営への参画につきまして、公募した事前質問にもありましたが、  「伝統的事務論」から「近代的事務論」へと転換をして行くとは、学校経営に事務職員が自ら参画して行くのだと捉えた時に「近代的事務論」は企画・判断・調整力が、今までの事

 

務の上に上乗せされることで、かなり大変だと考えている方もおります。また、一方で共同実施が、これらを解決する、解消する手立てとしてあるけれども、共同実施の中にも、連絡調整があり、学校事務職員の仕事が、非常に膨大な量になって行くのではないかとの危惧があります。これを今のような定数の中でやることについて疑問を持っている方がおられるというのが、やはり実態だと思うのですが、これについてどう思われますか。

 

 その通りです。ですから、我々は、職務の中心を給与・福利厚生から財務、それもリー  ダー型にスライドさせたのです。決して、福利厚生が価値がないと言うのでありません。力の入れ具合なのです。力を入れないで済むものはどれかということです。再構築したのです。切り捨てたものだけでなく、教育委員会の仕事も取り込んで行こうとしました。私たちは『学校事務の拡充』と言っています。学校の概念を、ウチハ、ウチハというような狭い概念ではなく、大阪市の場合は隣の学校がすぐ近くにあるので、まとめて考える発想が出て来るのです。学校概念をもっと広く、それはまだ道半ばですが、事務センターを含めた学校群が学校ではないかということです。

 これは、誤解されてはいけませんが、共同実施で、よくお世辞で「大阪市は先見力がありましたね」と言われるのですが、共同実施と事務センターでは本質的に違うのです。スケール・メリットがあることは事実です。従来、530ぐらいの各学校で支出命令書を作成していたのを、一定のものであれば、事務センターでまとめて買えば、事務センターの支出命令書だけで済む訳です。共同実施と違うところは、事務センターは自分たちの世界を作っている。自分たちの仲間の所長なのです。共同実施はどんな形で、職員を集められるか分かりませんが、事務センターは自分たちの行政組織です。自立した、そこで完結できる。所長は1件200万円の決裁権を持っております。小・中学校の専決額は50万円、高校は80万円ですが、事務センター長を含めば大きいもので、完結出来ます。指揮監督権と言いますと、古い言葉ですが、それが、事務職員の世界を作ることです。共同実施と事務センターでは本質的に違うことを我々は目指して来たのです。従って、自浄作用、自分たちの秩序は自分たちで守って行こうということで、11年経って、もうすぐ、12年目を迎えます。順調に進んでおります。4センターとも、新しい大きなビルに移転をしました。共同実施が決して悪いと言っているのではありません。

 市費負担事務職員の引き上げが、昭和30年台から言われて来ました。大阪市の場合、中学校には、府費負担事務職員が一校に1名と市費負担事務職員が一校2名の計3名勤務しておりました。我々は、市費負担職員を引き上げるなら、府費負担職員も引き上げてくれと、事務再編成では府費市費一体の世界を作ろうと頑張りました。大阪市の場合は、市費事務職員も学校職員として採用され、府費負担職員と一緒というか、条件はむしろ良いのです。例えば、定年退職後の嘱託勤務も府費は3年ですが、市費は5年です。学校では、仕事も同じです。市費負担職員だから市の仕事ということはない。市費負担職員3名の事務室の学校もあるし、府費負担職員だけ2名の学校もあります。全体で、一定の割合であればよいという事で、したがってどちらが上とか下とかいうことはありません。ですから、市費とか府費とかは区別して考える意識がありません。

 

 佐賀の方も、共同実施をやっているのですが、今、お話になった市費職員と県費職員の  枠を超えて学校事務再編成をされたというお話は大へん勉強になりました。今まで、佐賀市は市費職員については、事務の共同実施の枠外だと思っておりましたが、今後そのことも参考にして研究を進めて行きたいと思っております。

 4番の、学校事務の視点で、地域のニーズに応える学校事務とレジュメに書いておりますが、これについては、先ほどのレーダー飛行と言うのですか、事務室からいくらレーダー放射しても、見えない、もっと事務室から外へ出て、足を運んでその場に行って見る必要があるという感覚が必要と思います。向こうから情報が入って来るのではなく、こちらから情報をレーダーで探さなければならないと、受け止めたのですが、それでよろしいでしょうか。

 

 目の前の先生方に良い人だと言われて、非常に便利で助かるといくら言われても、職の  存亡の時には何の効果にもならないのです。地域社会、市にどれだけ貢献しているのか、

 

必要であるかが基本になって来ると思います。それは、決して、個人では到底出来ないから、事務研究会などに結集して、勿論組合もそうですが、力を出して行かなくてはと思います。 学校がすべて『善』ではありません。学校は良いことをしている、聖域である時代は過ぎました。騒音などで地域に迷惑をかけていないか、学校への地域の批判も謙虚に聞かなくてはならない。配慮が必要だと思います。それが、子どもたちのためになるのです。私たちは、教育が権威があるから、その権威を支えているから値打ちがあるのだという、他の権威によって自らの値打ちを上げる発想では発展はない。教育だけでなく、例えば公立病院にも行政がある、色々な活動の基盤が行政であるという、自立ですね。教育行政としての能力を発揮するということがポイントになって来る。それが、自立です。自立には精神的自立、経済的自立、身体的自立があり、大切なことだと、最近では堀田力さんが「介護の時代」という、よい本を出しておられますが、少なくとも精神的自立をしなくてはならない。それは、何も孤立するのではなく、他と協力しながら、共生しながら自立する。高齢者時代には、精神的自立、これが大切になって来ると言われております。

 

 時間が迫って参りました。「責任と権限」という重要な部分もありますが、学校評議員  制度が佐賀県でも、学校で取り入れられていますが、事務職員が、学校評議員会の中へ入ることについては非常に難しい状況があるようです。、例えば、学校長が5名ないし6名の評議員を呼んだ中で、教頭とか教務主任ぐらいがそこに入るけれど、事務職員が評議員会に入れない。片一方では、校長は学校の経営の説明の責任を負って、経営説明をするのですが、学校財務に係わって、堪能な事務職員が入れないという状況が想定をされるようです。このままで学校評議員制度と言うものはよいものでしょうか。

 

 なかなか、これは難しい問題です。お読みになったと思いますが、香川大学の柳沢良明  先生の「ドイツ学校経営の研究」これで博士号をとられたのですが、そこに、ドイツの学校評議員制度、学校協議会制度について、各州の法律を詳しく研究しておられます。「学校事務」誌のも紹介しました。私も、10年ぐらい前に、ヨーロッパの視察研修の際、ミラノの国立学校で学校協議会の会場を見せていただき、色々説明を受けたことがあります。やはり、その準備期間が必要だと思います。大阪府も、それについては、まず自己診断を先に、どこに問題があって、どのようなところまで協議するか。学校には個人情報が多くありまして難しいです。協議会に諮るものは何なのか言うことです。権限、構成員、任務、任期、謝礼、情報の提供、地域教育協議会との関係、その前に、大阪府の場合、地域教育協議会というものを先に作ろうとしております。地域に学校教育について協議する地域教育協議会を作るという形だそうです。

 私、個人のヨーロッパの印象等によりますと、窓口は行政職が一番冷静な判断ができるのではないでしょうか。外国へ視察に行きますと、教育委員が対応して下さいます。勿論教育委員会事務局のも方も来られますが、教育委員は私たちは住民から選ばれて、この地域の教育に責任を持っていますと、すばらしいプライドを持っておられます。学校がそういう住民の代表に開かれており、よい勉強になりました。ジュネーブ市教育委員会のインフォメーション部長、女性の方ですが、色々お話しをしました。私たちの感覚では、広報部長ですが、市とか教育委員会の情報を市民に伝える、周知徹底することが主になると思ったのですが「私の仕事は市民から学校教育についての話、苦情等を聞くことです」と言われました。学校教育の主体は市民、住民であるという良い勉強になりました。事務職員だけの班編成の視察でしたので、教育委員会の話がよく聞けました。基本的なスタンスが重要で、しっかりとした民主化の土壌がないと、ただの物の言い合いになってしまうと思います。

 

 うちの学校も、評議員会を開いたのですが、私も無理して入ったところが、予算にかか  わって説明をしたのですが、評議員さん方も校舎について若干意見を持っておられましたのでそれを聞けてよかったなあと、そんな見方をしております。

 質問者として、14本出ていた質問を、束ねて質問をしたつもりなんですが、十分参加者の意に添うような質問になったのかどうか不安です。ここで、参加者の中から、特に岸先生にお尋ねをしたいという方がありましたら、お出しいただきたいと思います。時間が迫って

 

おりますので、手短にお願いしたいのですが。先ほど会場の方からメモで質問してくれとのことことですが、岸先生は日頃から「横町のご隠居さんはやめようや」と言っておられます。私たちの中にも、ご隠居さん的な要素を持った者もいると思うのですが、この意味を教えていただきたいと思います。

 

 これは、ジョークで言っているのですが、物は何でもよく知っているが、口だけで何に  も行動に移さない落語に出て来るご隠居さんでは、私たちの発展はないと思います。また「否定の論理」は一番やさしいのです。「あれはいけない」「これは、こんな危険なことがある」と、何でも否定する。物凄く良い格好なのですが、無責任です。何もそこからは生まれてこないのです。我々は、学者の先生ではなく、実務家ですので実践して行かなければならないのです。毎日の仕事が、子どもたちや保護者や納税者に影響して来るのです。評論家では、何にもならない訳です。私も若い時によく言われたのですが、「抵抗はよいが、それだけでは単に拗ねているだけだ」と。対案を出さなくては発展はないと思います。

 最後になりましたが、我々の身近なことから実践して行かなければならないと思います。大阪教育大学の大脇先生は、学校の評価は、従前は学力で、教員だけの成果だけが見られたのですが、現在では、勿論学力、基礎基本は、学力達成度というものは重要なものですが、学校生活に児童・生徒が満足しているかという満足度と学校生活の児童・生徒がどのくらい関与しているかと言う関与度が評価される。ここに、大きなポイントがあると思います。評価の対象が学校から学校生活に変わってきている。学校生活は教員だけはでなく、あらゆる職種の人間が力を合わせて、対等平等に子どもたちの学校生活を保障することです。誰が、誰の補助をしたり、支えるのではない、各々の役割を十全に果たすことによって、素晴らしい学校生活が生まれる訳です。先生と同じことをすることが、協力ではないと思います。これからも、色々なことを学んで行きたいと思います。

 

 ありがとうございました。もっともっと質問があったのですが、時間がありませんので、  これぐらいで質問の時間を終わります。一番最後に、岸先生が言われた研修、自前研修ですが、この件については佐事研としましても研究部・研修部を中心に今後、検討立案して行たいかと思っております。今日は、長時間にわたりまして、ありがとうございました。

 

 大変生意気なことを申し上げて失礼な所が多かったと思いますがお許しいただきたいと  お願い申し上げます。ありがとうございました。

 

(本記録は、当日の講演内容を活字表現に変えるにあたり、必要最小限度の加筆・修正を講演者にお願いしたものです。)